FEATURE特集記事
日本全国の市町村単位を放送エリアとし、地域密着の情報を発信するラジオ局「コミュニティFM」。その成り立ちや、運営する人びとを訪問して取材する企画。
今回は、臨時災害FMからコミュニティFMへと地域と寄り添い続ける福島県須賀川(すかがわ)市の「ウルトラFM」を特集します。
「M78星雲の姉妹都市」須賀川市
福島県須賀川市は『ウルトラマン』の生みの親、円谷英二(つぶらや・えいじ)監督の故郷。ウルトラマンのふるさと『M78星雲 光の国』と姉妹都市関係にあることで有名です。
須賀川駅を降りてすぐにウルトラマンがお出迎えしてくれます。そして、街のメインストリートを歩くと、さらに数々の歴代ウルトラマンやウルトラ怪獣たちのモニュメントがズラリと…! これはワクワクする…!!
わぁ! カネゴンも!!
街の交流センターにスタジオを構える
街のメインストリートを歩くこと約15分。須賀川市役所にほど近い中心街・中町(なかまち)にある超スタイリッシュな複合施設「須賀川市民交流センター tette(てって)」。ゴジラやウルトラマンの生みの親である円谷英二監督に関する作品を専門に展示している「円谷英二ミュージアム」や本格的な音楽スタジオ、会議室など、まさに地域の交流拠点としての機能が詰まっています。
打ちっぱなしのコンクリートと大きな窓がまぶしい『tette』の4Fに『ウルトラFM』がスタジオを構えています。
取材をした2019年3月は、開局からわずか4ヶ月の段階。真新しくピカピカなスタジオが印象的でした。このスタジオから、福島県須賀川市一帯の約75,000人、約27,000世帯へ向けて24時間体制で放送を送り出しています。
『tette』の建設計画段階からこの『ウルトラFM』は建物の基幹機能として組み込まれており、館内にある施設とスタジオが回線で繋がれています。つまり、館内が『ウルトラFM』のスタジオになり、館内で行われるの活動をラジオの放送に乗せることが可能なのです。※回線は施設内の一部の部屋および施設外にあります
ビジネスホテルの一室で始まった「ラジオ局」
ウルトラFMの前身は、2011年4月に開設された臨時災害放送局『すかがわさいがいエフエム』。東日本大震災によって発生した災害に関する安全情報や生活情報を伝えるため、須賀川市が免許人となり、地元の有志によって放送が行われました。
ウルトラFMの運営会社である『株式会社こぷろ須賀川』で副社長を務める菊地大介さんも、当時の運営メンバーのひとり。街の機能が停止するなか、放送スタジオとして選んだのは意外な場所でした。
菊地さん:
市内のビジネスホテルの10階フロアをスタジオにしていました。震災でお客さんも来ないということで、(営業しない間、有効活用しようと)部屋のベッド…ダブルやシングル(ベッド)やらを全部運び出しまして。そこをスタジオにして放送していました。
「すかがわさいがいFM」当時のスタジオの模様は、日本財団のYouTubeチャンネルで見る事ができます。
文字通り手弁当の状態で立ち上げられた放送局は、全員放送経験ゼロ。しかし街の役に立ちたいという思いから、それぞれの持つ技術を出し、支え合って放送を送り出していたのです。
菊地さん:
音響や機材まわりは(無線技士の資格を持つ)地元消防署の司令室の方が協力してくれ、流す音楽は街のCDショップのご主人が持ち寄ってくれました。地元の公立病院の院長も運営に関わっています。
全員放送経験ゼロ。でも街をなんとかしきゃ、という思いで集まったメンバーでしたね。
『すかがわさいがいFM』は開局から2ヶ月後の2011年5月、その役割を果たしたとして閉局。その後はインターネットのストリーミングサービスなどを用いて不定期で放送されていましたが、「期間限定ではなく、常に街の情報が集まる場が欲しい」という声が高まったことを受け、コミュニティFMとして再始動。足掛け8年にわたる準備期間を経て、ふたたび須賀川市のラジオ局として「帰ってきた」のです。
DJは寿司職人!? 「喋りのプロ」をあえて起用しない理由
ウルトラFMでDJを担当するのは、本業を別に持つ一般の人びと。その職業は美容師から寿司職人、小さなお子さんを持つ母親までさまざまです。ウルトラFMでは、ラジオ局の顔ともいえる喋り手に「あえてプロを起用しない」こと信条にしているといいます。その理由とは──。同局で放送局長を務める栁沼宏延さんに伺いました。
栁沼さん:
しゃべるだけであれば、プロのアナウンサーが良いのかもしれません。しかしコミュニティFMには、いろんな人がそれぞれの視点で街の切り口を見出すことが大事なんです。
現役の寿司職人であれば寿司職人だからこそ、美容師であれば美容師だからこそ知っている(街の)情報を伝えてもらう。それによって、放送を聞いた人に新たな街の楽しみ方が生まれるんじゃないかと思うんです。
さまざまな専門分野をもって街で働く人に放送を通じてノウハウを提供してもらうことで、街に対する新たな切り口を提供し、また街に住む魅力的な人びとの姿を知ってもらいたいと栁沼さん。
栁沼さん:
一般的に、ラジオ局のDJは朝・夕方・夜と時間帯別に「顔」が決まっていますが、ウルトラFMでは時間帯をベースに人選をしていません。
朝の時間帯に放送している情報番組も、日替わりでまったく異なるバックグラウンドを持つ人びとがDJを担当します。つまり、昨日と今日とで情報の切り口がまったく違うわけです。リスナーさんが飽きない、毎日新鮮味のある放送を心がけています。
数十年須賀川に住んでも「知らないことがいっぱいある」
実際に番組を担当するDJのみなさんは、どんなことを考えて日々の放送を送り出しているのでしょうか。ウルトラFMで朝の情報番組『サンライズすかがわ』(月曜〜金曜 7:00〜9:00)を担当する大関由美子さんにお話を伺いました。
結婚式などでの司会業を務めていた大関さんは、『すかがわさいがいFM』でもDJを担当。ウルトラFM開局を機に、ふたたび須賀川の朝の顔として戻ってきました。幼少期から須賀川市に住み続けているという大関さんですが、それでも「自分は須賀川について、まだ全然知らない」と語ります。
大関さん:
『サンライズすかがわ』では「すかがわタイムスリップ」というコーナーを放送しています。昔の新聞をもとに、かつて須賀川市であった出来事を振り返っていくのですが、このコーナーをやるたびに「あぁ、私は須賀川について全然知らないな」と思うんです。
放送を聞いたリスナーの方から、須賀川の歴史について新たな知識を教えてもらうこともしばしばです。須賀川には長く住んでいますが、それでも須賀川という街について知らないことがたくさんある。毎回、街の人に教えてもらうつもりで放送に臨んでいます。
長く住んでいても、自分の身の回り以外のことについては意外と知らない。だからこそ、街に対するさまざまな切り口を──。放送局長・栁沼さんが地元で働く人びとを積極的にDJに起用している理由にもつながっていきます。
お互いを守り合い、優れた人を支援する「須賀川気質」
各界の著名人を多く輩出している街としても知られる須賀川市。クリエイティブディレクターの箭内道彦さんやシンガーソングライター・俳優のディーン・フジオカさんなど、出身者の多くが世界的な活躍を遂げています。ひとつの街からこんなにも多くの魅力的な人びとを生み出す背景には、ある「県民性」があるといいます。放送局長の栁沼さんはつぎのように語ります。
栁沼さん:
須賀川にはかつて須賀川城がありました。いちどは伊達政宗に攻め落とされるも復興し、やがて東北の玄関口としてさまざまな物流や商いの拠点として栄えました。須賀川の人びとには「なんとかして地元を盛り上げたい」というDNAが脈々と受け継がれているんです。
「日本三大疏水(そすい)」のひとつに数えられ、国の公共農業水利工事第一号として知られる「安積疏水(あさかそすい)」。江戸時代の大飢饉から子どもたちを守るため、街の人びとによって基金が設立された「赤子養育事業」──。のちの制度にも大きな影響を及ぼす、歴史的な公共事業の数々が須賀川から生まれました。
栁沼さん:
須賀川の人びとには、町の人びとをみんなで守り、優秀な人を積極的に支援する気質があります。しかもこれらは行政に頼らず、細かなコミュニティ同士のタッグによって成し遂げられてきました。『すかがわさいがいFM』も、街の人びとが放送機材や人件費を支援してくれたことで運営することができたのです。
須賀川の歴史は、人びとの復興、そして助け合いの歴史でもありました。多くの著名人を輩出する背景には、「みんなのために」を第一に考え、優れた人を積極的に支える「須賀川気質」があったのです。
そんな人びとの魅力がにじみ出るウルトラFMの放送には、地元須賀川のみならず、インターネットを経由して日本全国からリスナーが集まっています。
記事の締めくくりは、DJの大関さんの言葉で。
大関さん:
ウルトラFMのスタジオからは、かつて「すかがわさいがいFM」を放送していたホテルの建物が見えるんです。何もない不安だらけのなか、みんなで支え合った2ヶ月間があったから、いまがある。それを忘れないため、毎日放送が終わるとホテルの方角を向いて一礼するんです。
【ウルトラFM 放送局データ】
放送地域:福島県須賀川市
周波数:FM86.8MHz
公式サイト: http://ultrafm868.jp/
公式Twitter: https://twitter.com/ultrafm868
JCBAサイマルラジオを通じて、全国どこからもライブ聴取が可能
https://www.jcbasimul.com/radio/1223/
(取材・文:天谷窓大 / 編集・撮影 株式会社トランジットデザイン)